牧 師 室

2011年 7月31日 の週報より
    湧き出る命の水  溜め水でなく
  預言者エレミヤはイスラエルの民に 「 生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の
水溜を掘った 」 と語った(エレミヤ書 2:13)。 これは主なる神を捨てて偶像の神に
頼ったことを指している。これをわたしたちについて考えると、神の恵み、神よりの賜り
物を貯めておこうとする心に例えられる。人は貯えがあると安心するものだが、イエス
は 「 愚かな金持ち 」 の譬を話された (ルカ 12:13 以下)。神よりの賜り物と思って
いるものは実は自分の安心のためのこの世の豊かさにすぎず、それは自分が拠り所
とする偶像の神にほかならない。 信仰生活が長いと信仰の貯えも多いと考え違いを
しがちである。しかし信仰は貯めて置いて苦しい時に汲み出すようなものではなく、
常に湧き出でる生ける水によって渇きを癒されるものなのである。
 「 命の泉は神にある 」 (詩編 36:9)が、それをわたしたちに与えるのは主イエスで
ある。その水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る(ヨハネ 4:14)。
  新鮮な湧き出る水によって生かされたい。
                                         十時 英二